本事例の要約
これは膵臓癌末期で緩和ケア病棟に入院中、痛みのコントロールが困難であり、食事摂取量の減少と体重減少が著しく、残された時間をできるだけ自宅で過ごしたいという本人の希望を尊重した在宅緩和ケアへの移行支援が必要な事例である。介入日は入院14日目の5月15日である。
1.健康知覚-健康管理
A氏は72歳の男性で、膵体尾部癌ステージⅣ(多発肝転移、腹膜播種)と診断されている。当初は膵体尾部腫瘍に対して膵体尾部切除術が施行されたが、術中所見で腹膜播種が確認され姑息的切除となった。病理診断では中分化型腺癌であり、リンパ節転移も認められている。膵癌は消化器癌の中でも最も予後不良な疾患の一つであり、5年生存率が10%未満と言われている。特にA氏のように遠隔転移を伴うステージⅣでは治療に対する反応性が低く、急速に進行する特徴がある。A氏の場合、一次治療としてゲムシタビン+ナブパクリタキセルによる化学療法を6コース、二次治療としてFOLFIRINOX療法を3コース施行したが、腫瘍マーカー(CEA 52.8ng/mL、CA19-9 10,840U/mL)の著明な上昇と画像検査での肝転移の増大、全身状態の悪化により化学療法は中止となり、緩和療法へ移行している。腫瘍マーカーの急激な上昇は疾患の急速な進行を示唆しており、予後不良の徴候である。
A氏の現在の健康状態は著しく低下している。入院時より右季肋部から心窩部にかけての持続痛とNRS 8/10の強い痛みを訴え、黄疸(T-Bil 5.2mg/dL→7.8mg/dL)と腹水貯留を認め、腹部膨満感が著明である。黄疸の進行は腫瘍による胆管閉塞や肝機能障害の進行を示しており、予後不良因子の一つである。さらに肝機能検査値(AST 105IU/L、ALT 110IU/L、ALP 820IU/L、γ-GTP 310IU/L)の上昇も認められ、肝不全への進行が危惧される。入院5日目に腹水穿刺排液(800mL)を施行し一時的に腹部症状は軽減したが、その後も腹水は再貯留し、腹囲は入院時より2cm増加している。腹水の貯留は低アルブミン血症(Alb 2.0g/dL)による膠質浸透圧の低下と、門脈圧亢進、さらには腹膜播種による腹膜炎症など複合的な要因によるものと考えられる。
入院10日目には嘔気・嘔吐が出現し、CTにて腫瘍の十二指腸浸潤による通過障害が確認された。この消化管閉塞は経口摂取を著しく困難にし、栄養状態の悪化にさらに拍車をかけている。入院12日目頃からは夜間を中心に見当識障害がみられるようになり、一時的なせん妄状態を呈している。このせん妄状態は、オピオイド使用の影響、肝不全の進行による肝性脳症の可能性、電解質異常(Na 132mEq/L)、低カルシウム血症(Ca 7.8mg/dL)など複合的な要因が考えられる。また夜間に時折軽度の呼吸困難を訴えることがあり、SpO2は94%(室内気)と軽度低下している。この呼吸困難感は、腹水による横隔膜挙上、貧血(Hb 8.5g/dL)、低アルブミン血症による間質性浮腫の可能性など複数の要因が考えられる。
A氏は元高校教師という職業背景から知的理解力は高く、自身の病状について十分な理解力を有していると考えられる。認知機能は保たれており、MMSE 29点と正常範囲である。予後の説明を受けた後、「もう長くないことはわかっていた。でも家で過ごす時間が欲しい」と語っており、自身の病状と予後について冷静に受け止めていることがうかがえる。性格は几帳面で計画的、自分のことは自分でしたいという自立心が強い性格であり、このような性格特性は病状の進行による依存状態への適応を困難にする可能性がある。家族構成は妻(70歳)と二人暮らしで、妻は献身的に介護に関わっている。長男(45歳)は近隣市に家族と居住しており、週末には面会に訪れるなど家族の支援体制はある程度整っている。しかしながら、A氏と同年代の妻が主な介護者となることから、介護負担の大きさを考慮した支援が必要である。
既往歴としては高血圧症(10年前から内服加療中)、2型糖尿病(5年前から経口血糖降下薬で治療中)、虚血性心疾患(3年前に冠動脈ステント留置術)がある。複数の慢性疾患を抱えているが、アムロジピン5mgとグリメピリド0.5mgの内服により疾患自体はコントロールされていたと考えられる。しかし、膵癌の進行とともに全身状態の悪化が見られ、特に肝機能障害の進行、低アルブミン血症、腎機能低下(Cre 1.35mg/dL、BUN 28.6mg/dL)など多臓器不全の徴候が出現しており、既存疾患の管理をも困難にしている。特に糖尿病に関しては、膵臓の機能低下により血糖コントロールが不安定になる可能性があり、低血糖のリスクも考慮した管理が必要である。また、虚血性心疾患の既往があることから、貧血の進行による心筋酸素需給バランスの悪化にも注意が必要である。
服薬状況については、入院前は自己管理していたが、体調悪化と疼痛増強に伴い、現在は看護師管理となっている。特にオピオイド製剤については厳重に管理され、疼痛時のレスキュー薬(オキシコドン速放錠10mg)は本人の訴え時に看護師が評価して投与している。内服は水分摂取量の減少に伴い嚥下困難が出現しているため、可能な限り口腔内崩壊錠や散剤に変更されている。フェンタニル貼付剤の貼り替えは看護師が実施し、皮膚トラブルに留意している。A氏はオピオイドによる疼痛コントロールが不十分であることから、フェンタニル貼付剤の増量(16mg→18mg)が指示されており、薬剤調整による疼痛緩和が優先課題となっている。また、せん妄対策としてオランザピン2.5mgが投与されており、不眠時にはゾルピデム10mg、夜間せん妄時にはリスペリドン0.5mgが頓用で使用されている。これらの向精神薬の使用は、A氏の意識状態や呼吸状態に影響を与える可能性があるため、慎重な観察が必要である。便秘対策としてセンノシド12mgと酸化マグネシウム330mgが使用されているが、オピオイドによる便秘は依然として強く、3~4日に1回の排便となっており、さらなる便秘対策の検討が必要である。
身体状況として、身長は168cm、体重は現在42kg(発症前は65kg)と23kgもの著しい体重減少がみられる。BMIは14.9kg/m²と著しく低下しており、重度の低栄養状態を示している。このような急激な体重減少は膵癌による消耗性疾患(癌悪液質)の特徴であり、食欲不振や嘔気・嘔吐といった症状、また腫瘍の十二指腸浸潤による通過障害も影響している。現在の食事摂取量は流動食~軟菜食を提供しているが1~2割程度と著しく低下しており、水分もとろみをつけることで1日500ml程度摂取可能な状態である。低アルブミン血症(Alb 2.0g/dL)は重度の栄養障害を反映しており、創傷治癒の遅延、浮腫の形成、免疫機能の低下などさまざまな合併症のリスクを高めている。
現在の栄養状態を改善するために末梢静脈栄養が行われているが、カロリー摂取量と栄養素のバランスについての具体的な情報がないため、栄養サポートチーム(NST)との連携による栄養評価と介入計画の策定が望ましい。特に、終末期患者の栄養管理は生理的必要性と苦痛の緩和、QOL向上のバランスを考慮する必要があり、A氏と家族の希望も含めた包括的な評価が重要である。
入院前の運動習慣については具体的な情報がないが、定年退職後の活動状況や趣味などについての情報収集も必要である。現在は全身倦怠感が強く、Performance Status(PS)は3と低下しており、日常生活全般において介助を要する状態である。機能的自立度評価表(Barthel Index)は40点と低下しており、特に移動や排泄に関する項目で介助を要している。入院10日目には夜間トイレに行こうとしてふらつきにより転倒し、右大腿部に打撲を負った経験があり、転倒リスクも高い状態である。
呼吸に関連する健康習慣として、喫煙歴は20歳から1日20本(約50年間の喫煙歴)を膵癌診断時まで続けていたが、診断を機に禁煙している。長期の喫煙歴(50パックイヤー)は膵癌のリスク因子であり、A氏の発症に影響した可能性が高い。また、長期の喫煙は肺の予備能力を低下させ、現在の軽度の呼吸困難感にも関連している可能性がある。飲酒については発症前は晩酒としてビールを1本程度毎日飲酒していたが、腹痛出現後は中止している。中等度の飲酒も膵癌のリスク因子とされており、発症に寄与した可能性がある。アレルギーとしては薬剤アレルギー(セフェム系抗生物質でじんましん)の既往があり、この点は今後の薬剤選択において注意が必要である。特に終末期には感染症を合併するリスクが高まるため、抗生物質選択の際に考慮すべき重要な情報である。
A氏は「家に帰りたい」「学校の教え子たちに会いたい」「自宅の庭を最後にもう一度見たい」という具体的な希望を表出しており、残された時間を意味あるものにしたいという思いが強い。また「痛みさえなければ家に帰れるのに」と繰り返し訴えており、在宅療養への移行には疼痛コントロールの安定化が最優先課題である。一方で「妻に迷惑をかけたくない」という思いから在宅療養への不安も抱えている。妻も「本人の望みなら叶えてあげたい」と前向きな姿勢を示しつつも、「家で看られるか自信がない」「痛みが強くなったらどうしたらいいか」と具体的な不安を表出している。在宅療養移行に向けては、疼痛コントロールの安定化と妻への具体的な指導支援が必要である。特にオピオイド管理や急変時の対応について繰り返し質問しており、医療者からの具体的な指導と支援を求めている。
在宅療養に向けた準備として、訪問診療医と訪問看護ステーションの連携体制を整えることが指示されており、退院前カンファレンスでは、妻から「専門家に来てもらえるなら頑張れるかもしれない」との前向きな発言があった。在宅緩和ケアの成功には、医療処置(疼痛管理、末梢静脈輸液)の継続性と家族の不安軽減が鍵となる。特に、緊急時の対応として緩和ケア病棟へのレスパイト入院の体制を整えることは、家族の安心感につながる重要な支援である。
今後も全身状態や疼痛の程度、せん妄の出現状況、家族の介護力について継続的に観察・評価していく必要がある。特に疼痛評価はNRSのみならず、痛みの性質(持続痛、突出痛)、増悪因子、緩和因子など多面的に評価し、適切なオピオイド調整につなげることが重要である。せん妄については、夜間の環境調整(適切な照明、見当識を促す働きかけなど)や薬物療法の効果評価を継続し、せん妄の重症化予防に努める必要がある。また栄養状態や水分摂取量、腹水や浮腫の程度についても日々の変化を注意深く観察し、適切な介入につなげることが求められる。
A氏の「自宅で過ごしたい」という希望を叶えるためには、退院に向けた準備として、妻へのオピオイド管理方法の指導、症状増悪時の対応方法、在宅医療サービスの調整などを計画的に進めていくことが重要である。体調の変化が急速に進む可能性があるため、退院時期の見極めも慎重に行う必要がある。また、長男家族との連携も視野に入れ、妻の介護負担軽減のための具体的な支援体制も検討すべきである。A氏の膵癌は急速に進行しており、週単位から月単位の予後が予測されるため、残された時間をA氏と家族が有意義に過ごせるような支援が求められる。
看護問題の明確化
#疾患の進行に伴う疼痛
#末期膵癌に伴う代謝亢進に関連した栄養障害
#疾患の進行と治療に関連した自己健康管理の困難さ
事例の目次
【ゴードン】膵臓癌 終末期の看護(0022)| 今回の情報
1.健康知覚-健康管理
2.栄養-代謝
3.排泄
4.活動-運動
5.睡眠-休息
6.認知-知覚
7.自己知覚-自己概念
8.役割-関係
9.性-生殖
10.コーピング-ストレス耐性
11.価値-信念
看護計画
この記事の執筆者

・看護師と保健師免許を保有
・現場での経験-約15年
・プリセプター、看護学生指導、看護研究の経験あり
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